「悪いのはアタシじゃない。お姉ちゃんでもない。お父さんでもお母さんでもない」
怒りをぶつけるかのような、それでいて何かを追い求めているかのような瞳。
「悪いのは、アタシたちを堕とした唐渓の連中だ」
最初はかつての同級生に怒りを向けた。塾で遅くなった彼らや彼女らに、遊びのようにナイフを振り回した。驚いて悲鳴をあげる姿に恨みが晴れるような気がした。学校ではイイ男を気取っていた男子生徒がチラっとナイフを見せただけで奇声をあげて腰を抜かす姿には笑えた。
だが、だんだんとそれだけでは満足ができなくなってきた。
「唐渓のヤツらを一人残らず消してやりたくなった」
最初はナイフを振り回すだけだったが、六人目の時、本当に切ってしまった。右手の掌を少し掠っただけだったが、相手は滲み出てくる紅色にギャーギャーと喚き声をあげた。弥耶は一目散に逃げた。走りに走って、もうこれ以上は無理だというところまで来て、ようやく立ち止まった。乱れる呼吸を整えながら、握り締めたままのナイフを見つめた。手が少し、震えていた。
怖いのか?
自問してみる。
違う。
そう答えてみる。
ならどうして震えている?
それは。
少し考える。
それは、興奮しているから。
アタシはやった。人を切った。
微かに残る、掌を擦った時の感触。思い出すとなぜだか背中に寒気が走り、だが同時に言いようのない高揚感にも包まれた。
アタシはできる。何だってできる。
入り浸っている繁華街のクラブへ行った。クスリを使うと、さらに気は大きくなった。
唐渓のヤツらを、一人残らず消してやる。
「それで美鶴を襲ったってワケ」
呆れたようなユンミの声。
「サツに出したきゃ出せばいいさ。どうせこの女には傷一つ付けちゃいないんだしね」
「おーおー、大きく出たねぇ。こりゃ放免ってワケにはいかないかな。言っとくけど、美鶴を襲っただけじゃなくって、麻薬やら飲酒やらいくらでも突き出す理由はあるんだからね」
「現行犯でもないのに?」
「検査すりゃ一発よ」
チッと舌打。
「いいじゃない、どうせ人生捨てたんでしょ?」
「アンタだって、アタシと似たような生き方してんじゃないの?」
言いながらユンミの出で立ちに視線を這わせる。途端、ユンミは眉を潜めて手に力を込めた。掴んでいた襟首を押し付ける。ゴンッと嫌な音がした。額を地面に打ち付けたようだ。
い、痛い。
美鶴まで眉を顰めてしまう。
「アンタなんかと一緒にしないでよね。こう見えてもアタシ、アンタなんかよりかはマトモな人間なのよ。だいたい見た目で人を判断しているようじゃ、ロクな人生歩けないわね」
まるで気にしていないというような口ぶりだが、言葉の端々に不愉快が滲み出ている。
「アンタみたいなのと同じにされたんじゃ、アタシの腹の虫も治まらないわ。こりゃお巡りさんを呼ぶしかないわね。美鶴、お願い」
言われて慌ててポケットに手を突っ込む。が
「あ、携帯、部屋だ」
只今充電中。
「はぁ? ったく、肝心な時に役に立たないのね」
ぶつぶつと不平を言いながら空いている手でスウェットのポケットを探る。
「あれ? アタシも、忘れた?」
その瞬間だった。思いっきり吹っ飛ばされたユンミは無様に尻から地面に落ち、同時に地鳴りのような音が響く。
「え? わ、ユンミさんっ!」
慌てて駆け寄ろうとする美鶴の目の前をものすごい勢いで影が横切る。
「わっ」
目で追った時には、すでに路地を曲がっていた。
「やられたわね。迂闊だった」
一瞬のスキを突かれて押しのけられたユンミは打ち付けた尻を摩りながら弥耶の消えた方角を見つめる。
「あのぶんだと反省なんてしてないわね。きっとまたどこかで唐渓の生徒を狙うわ。まぁもっとも」
言いながら立ち上がる。
「当分は鳴りを潜めるでしょうけどね」
「え? なんで?」
「捕まるのが怖いからよ」
腰に手を当て、小さく伸びをし、そうしてふと地面に視線を落としてニヤリと笑った。
「落し物はちゃんと持って帰ったってワケか」
「へ?」
同じように見下ろすと、落ちていたはずのナイフがない。
「ユンミさん」
「そんな情けない顔しなさんな。大丈夫。ちゃんとサツには情報流しておいてアゲルから」
「え? 通報するんですか?」
「この状況で通報したら、アタシたちが無駄に事情聞かれるだけよ。アンタだって、できるなら今の状況を警察に話すのは嫌でしょ?」
「あ、それは、そう、かな」
でも、だったら警察に情報って。
「匿名のタレコミでもやっとく。ま、それで警察が動くかどうかはわからないけどね。唐渓の人間が狙われてるって言ったら、多少はビビるんじゃないかな。なにせこの辺りでは有名な私立高校らしいからね。おエラいさんのご子息もいぃーぱい通ってるんだろうし」
言って、嫌味たっぷりに美鶴を見下ろす。
「まぁ、それは、そうですね」
「じゃあ、あとはお巡りさんが仕事熱心であるコトを祈るしかないかな」
そう言って、ポンッと美鶴の肩を叩いた。
「と言うワケで、アタシらは部屋に戻って遅めの昼食といたしましょうか」
言われて思い出すのはコンビニの袋。同時にクゥと腹が鳴る。慌てて押さえる美鶴の姿に、ユンミがケタケタと声をあげた。
そんな相手を複雑な思いで見返し、だが他にはする事もないのだから、結局はユンミに続いてアパートへ戻るしかない。カンカンとうるさい音を立てながらアパートの階段をのぼっていく。先を行くユンミを見上げる美鶴。
こう見ると、ユンミさんって体格イイよなぁ。って、身体は男なんだっけ?
弥耶を取り押さえた時も、まるで大人が子供を押さえているかのようだった。
それなのに一瞬でユンミさんを振り払っちゃうなんて、あの弥耶って子、けっこう侮れないかも。
唐渓の人間は人の隙を突くのがうまいから、そういうところからきているのだろうか。もっとも唐渓生が突くのは心の隙だが。
「ユンミさん、本当に大丈夫ですか?」
部屋に戻り、ベッドにうつ伏せになるユンミに声を掛ける。コンビニの袋はそのまま机の上へ。パックの紅茶だけを出してストローで啜った。お腹が空いているばずなのに、なんとなく食べる気にはなれない。風呂場で制服からスウェットに着替える。ユンミからの借り物だ。香水が染み付いている。香水は母も付けているのでそれほど嫌ではないのだが、やはりこの強い香りを撒き散らしながら外を歩くのには抵抗を感じて、外出する時には着替えたくなる。
私が香水作るなら、もっとさり気ない香りにする。
「お尻、痛くありません?」
「ヘーキヘーキ」
「でも、けっこうすンごい音してましたよ」
「何? アタシの尻がデカくって音が派手だったって言いたいワケ?」
「そんなコト言ってませんよ」
少し憤慨しながら慌てる。
「本気で心配してるんですからね」
「ガキに心配されるほどヤワじゃないわよ」
ムッ
「そのガキよりも年下の女の子に吹っ飛ばされたのは誰ですか?」
ムムッ
「言ってくれるじゃない」
「あ、ガキ相手に本気になっちゃうなんて、みっともないですよ」
美鶴の減らず口に頬をヒクヒクとさせるユンミ。
|